モルドバ概観 (2011年10月現在)

略史

 プルート川とドニエストル川に挟まれるベッサラビアの地には,古代キンメル人,スキタイ人が居住していたとされている。2世紀頃,ローマ帝国がダキヤ(現在のルーマニア,モルドバ,セルビア,ブルガリア)の地を征服し,その勢力は現在のモルドバ及びルーマニア南部まで広がった。民族大移動の時期には,ゴート人,ペチェネグ人等がベッサラビアの地を通過し,地域住民に影響を与えた。

 

 14世紀までベッサラビアはマジャール人の支配下にあったが,1349年にボグダン公がカルパチア山脈からドニエストル川までの領土(現在の南西ウクライナ,ルーマニア北部及び沿ドニエストルを除いたモルドバ)を持ったボグダニア公国を建国。その後,現在ルーマニア国内のモルドバ川にちなんだモルダヴィア公国が設立された。モルダヴィア公国は1457~1504年に在位したシュテファン大公の時代に最盛期を迎え,オスマン・トルコを何度も撃退したとして,シュテファン大公はルーマニア・モルドバの共通の英雄となっている。
 しかし,1512年にはモルダヴィア公国はオスマン・トルコの宗主権下に入り,その後300年に亘り朝貢関係が続けられた。

 

 1792年のヤシ条約により,現在の沿ドニエストルにあたる領土がオスマン・トルコからロシアへと割譲され,また1806年~1812年の露土戦争の結果締結されたブカレスト条約により,ベッサラビアがロシアに割譲され,現在のモルドバの領土の原型が形作られた。プルート川以西のモルダヴィア公国とワラキア公国は1859年にモルダヴィアの貴族クザを両公国の公に選出,事実上合併し現在のルーマニアの基礎を創った。ルーマニアは1878年のベルリン条約により独立が認められた。
 1918年,ルーマニアはベッサラビアを統合,1920年のパリ条約で領有が承認される。一方,1924年ソ連はドニエストル左岸にウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の構成部分としてモルダヴィア自治社会主義共和国を創設した。1940年には,ソ連は独ソ不可侵条約に基づきベッサラビアを占領,モルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国を創設した。1947年の連合国とルーマニアの平和条約でベッサラビアのソ連への移譲が確認された。

 

 ペレストロイカの流れの中,1980年後半から民族主義的な運動が起こり,1989年8月31日にモルダヴィア・ソヴィエト社会主義共和国はモルドバ語が国語であると宣言。1990年5月23日に国名をモルドバ共和国に変更,1990年6月23日に主権宣言を行い,1991年8月27日に独立宣言を行った。一方,ロシア・ウクライナ系住民の多いドニエストル左岸の沿ドニエストルは,1990年9月に分離独立を宣言,1992年には武力衝突もあり,現在も紛争状態にある(「沿ドニエストル問題」参照)。
 1992年3月2日に国連加盟国として承認された。1993年11月に通貨レイを導入。1994年7月にはモルドバ共和国憲法が採択され,民主化,市場経済化の道を進んでいる。

 
 
 
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