エピソード集

宗教編

 ウクライナにおけるキリスト教会は極めて複雑です。大きく分けるとウクライナ正教会とカトリック教会に分かれます。キリスト教会は,11世紀にローマを中心とするカトリック教会とコンスタンチノープルを中心とする正教会に分かれましたが、ウクライナにおいてはその両方の教会が存在しています。正教会についても一つではなく、大きく分けるとモスクワ聖庁の権威を認めるウクライナ正教会と,キエフ聖庁の権威を認めるウクライナ正教会に加え、ウクライナ独自の正教会(ウクライナ自治独立正教会)が存在しています。キエフ聖庁ウクライナ正教会は、1991年にウクライナが独立する直前の1990年にモスクワ聖庁より分かれ,キエフ総主教の選出という形で誕生しましたが、モスクワ聖庁はこれを認めていません。
 カトリック教会に関しても,ローマ・カトリック(ラテン典礼を受け継ぐカトリック教会)と,儀式は東方典礼を受け継ぎつつもローマ教皇の首位権を認めるギリシャ・カトリック(ユニエイトとも呼ばれる)の二つがあります。それぞれの教会に属するウクライナ人の数は正確には分かりませんが,モスクワ聖庁のウクライナ正教会、キエフ聖庁のウクライナ正教会が最も多くの信徒をかかえていると考えられます。
 今般のロシアとウクライナとの紛争の勃発によりモスクワ聖庁ウクライナ正教会は困難な立場におかれており,いくつかの教区においては,信者がモスクワ聖庁系の司祭を追い出し、キエフ聖庁司祭を招くという事態が起こっています。
 ギリシャ・カトリックに関してはウクライナ西部を中心に400万人の信徒がいると考えられ、ローマ・カトリックは50万人程度と言われています。

 

 ちょうど,日本人が神道という自然に非常に結びついた宗教を信仰しながらも,すんなりと仏教を生活の中に取り入れたように,ウクライナもキエフ・ルーシ時代の土着信仰の風習を,ギリシャ正教に上手く取り込みながら生活しています。
 6月末の夏至の時期,ウクライナでは「イワン・クパーロの祭り」が行われます。「クパーロ」とはウクライナ語で「水浴び」を意味しており,水浴で悪霊を払って心身を清める土着の信仰に基づいた祭りと,ギリシャ正教での「洗礼者ヨハネ祭」が合わさって今の「イワン・クパーロの祭り」ができあがりました。女性は頭に花輪を付け,焚き火の上を男性と手をつないで飛び越えます。そして,頭の花輪を川に浮かべその年の結婚運を占います。

 

 ユネスコ世界遺産の一つに登録されているペチェルスカ大修道院の敷地内に,ここでは最も古い寺院であったウスペンスキー寺院があります。しかし現存しているのは,ウクライナ独立後に再建されたもので,昔の寺院は第2次世界大戦中に爆破されてしまいました。ウスペンスキー寺院が爆破された理由としていくつかの説が挙げられていますが,その爆破で命を落とした学者チェルノフビウ氏の婦人が語ったものは興味深いです。
 「1941年11月3日(当時キエフはドイツ軍に占領されていた),スロバキアの軍人ティッソがペチェルスキー大修道院を訪問した。当時,スロバキア人はドイツ人と同様に,ソ連軍にとってはファシストであり人民の敵であった。ウスペンスキー寺院を爆破させようとあらかじめ地雷を仕掛けていたドイツ軍にとっては,その爆破をソ連愛国者によるティッソ暗殺に見せかける絶好のチャンスであった。当日,ティッソが大修道院の敷地内から一歩足を踏み出した途端,ウスペンスキー寺院は爆破し崩壊した。」
 おそらく,ドイツ軍は,ギリシャ正教を代表し,ウクライナ人の心のよりどころでもあるウスペンスキー寺院を爆破することは,ウクライナ人に対して精神的なダメージを与えることができると考えたのではないでしょうか。
 なお,第二次大戦後,ドイツは修道院内にあった財宝類を全てウクライナに返還しています。

 

 11世紀に建立されたソフィア教会はユネスコ世界遺産にも登録されている由緒正しい教会です(現在の教会はその後改修が繰り返されているもの)。
 この教会の鐘楼となっている正門に入ろうとすると,右手にアスファルトがこんもりと盛り上がって,しかもたくさんのお花が飾られているのにお気づきになることでしょう。
 1995年8月、キエフ聖庁ウクライナ正教会の総主教が亡くなった際,その信者達がこの由緒正しきソフィア教会にその遺体を葬るようウクライナ政府に願い出たのですが聞き入れられず,強引に信者らがソフィア教会の前のアスファルトに穴を掘って遺体を埋めたのです。この時信者と警察官の間で衝突が発生し,死傷者も発生したということです。
 聞くところによると,この総主教は多くの人に慕われた人で,その死が政治的に利用されたと嘆くウクライナ市民も多くいます。
 この事件があってから約1年間,ソフィア教会は改修工事中という理由で中に入ることができませんでした。でも本当の理由は,キエフ聖庁ウクライナ正教会の信者がソフィア寺院に入ることをウクライナ政府が恐れたためといわれています。

 

 ウクライナのイースターエッグは「ピーサンカ」と呼ばれますが,これはウクライナ語の「ピサーチ」(書く)という言葉から来たものです。ピーサンカの歴史は数千年の昔,新石器時代まで遡り,狩りの獲物の姿をいつまでも保存するために卵に写し取ったことから始まります。元々は土や灰を用いた白,茶,黒の単純なデザインが大部分でしたが,人類の発達につれてデザインも細かく,多くの色が使われるようになりました。やがて,幸福の祈りを込めた贈り物として,他の人たちに贈られるようになりました。
 2000年9月,ウクライナ西部のコロミヤという町にピーサンカ博物館が建設され,クチマ大統領(当時)も開館式に出席しました。この博物館はそれ自体が巨大なピーサンカとなっており,1976年にカナダに建てられたモニュメントを抜いて,世界最大のピーサンカとなっています。

 

 ウクライナにおいては12月25日にローマ・カトリック教会がクリスマスを祝いますが,正教会は1月7日に祝います。なぜこのようなことが起ったかご存知でしょうか。
 これはローマ・カトリック教会がグレゴリオ暦でクリスマスを祝うのに対し,正教会はユリウス暦で祝うことに原因があります。つまり,どちらも12月25日をクリスマスとしているのですが,ユリウス暦は4年に1度の閏年を組み入れないので,少しずつずれていってしまい現在ではユリウス暦の12月25日がグレゴリオ暦の1月7日になってしまった訳です。
 ウクライナに住んで良いことはクリスマスは2度祝われることにあり,ショッピングセンターやクリスマスマーケットは12月20日前後から1月20日前後までクリスマスを祝っています。また,2017年から12月25日と1月7日の双方がクリスマスと国民の祝日となっています。

 
 
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