「スパシーバ」はロシア語で「ありがとう」を意味することは知られていますが,ウクライナ語では「ジャークユ」と言います。ウクライナでは,ソ連時代の経緯からロシア語も十分通用しますが,ウクライナ語は,より土着由来の語彙が多いとされます。旧ソ連時代,キエフでは,ウクライナ語を話すと田舎者と思われたそうですが,今や憲法においてウクライナ語が国語であると明記され,大統領もウクライナ語を話すことが条件となっています。クチマ第二代大統領は,母語はロシア語ですが,大統領になるにあたりウクライナ語を猛勉強したそうです。
一般に「別荘」「菜園」と訳され,大小はありますが郊外にある庭を伴った小さな家のことで,多くの人が週末には市内の喧噪を離れてダーチャで過ごします。リンゴ,トマト,キュウリ,イチゴ等いろいろな野菜や果物を育てるために,春から夏にかけて冬の食糧確保のために忙しく農作業をする人も多いです。一説によると,ダーチャでとれるジャガイモのおかげで,GDPが半分以下になった1990年代前半の経済危機を飢える人なく乗り越えることができたとも言われています。
あるウクライナ人が日本に来て,若い日本人に「日本で有名なウクライナ人は誰?」と質問したら,皆が口を揃えて「シェフチェンコ!」と答えたそうです。少し前までは,棒高跳びで有名なブブカ選手だったかも知れませんが,そのウクライナ人にとっては若い日本人の答えは驚きでした。ウクライナでシェフチェンコといえば,最も偉大な詩人であり,現代ウクライナ語を確立したタラス・シェフチェンコのことです。そのウクライナ人は多くの日本人の若者が彼のことを知っていると聞いて大変喜んだとのこと。
しかし,実際は,若い日本人が知っているシェフチェンコは,タラスではなく,当時イタリアのサッカーチームACミランで大活躍し,現在はウクライナ代表監督のアンドリー・シェフチェンコのことだったのです。なお,シェフチェンコは2004年の欧州最優秀サッカー選手に選ばれました。