ウクライナだより 1
令和8年9月25日
~ご挨拶、議員外交の真骨頂を示した森衆議院議長の当地訪問~
令和8年(2026年)9月25日
ウクライナ駐箚日本国大使
大隅 洋
着任から三週間
8月29日にキーウに到着しました。ウクライナでの初めての朝日は車中で見ました。そこにあるのは青空と緑と陽光のみ。起伏のない大地をひた走るので、両側の針葉樹とでほぼ視界が遮られます。何か不思議な朝でした。今まで、ニューヨーク、リヤド、ハーグ、パリ、ロンドン、テルアビブ、サンフランシスコと赴任しましたが、見知らぬ街に住み出すのは落ち着かないもので、ましてや空襲警報が時折鳴る当地においては。それでも勇気づけられるのは、出迎えてくれた大使館の同僚が明るく士気が高いことと、現地職員の暖かい気持ちや雰囲気でした。
それから三週間、大使としての活動については、大使館のX、フェイスブック、インスタグラムのアカウントに逐次アップデートされているので見ていただければと思います(できればフォローのボタンを押してください!)。一つエピソードを紹介すれば、ウクライナは安青錦関の出身国ということで相撲が結構盛んで、9月5日にキーウ工科大学で開催されていた「日本の秋」という祭りの青空土俵で安青錦関を教えたコーチの息子さんのアマチュア力士(欧州の強豪との話です)と一番勝負する機会がありました。もちろん勝ちましたよ・・・リンクをご覧ください。。。5日はたまたま私の誕生日でご祝儀も頂いたのかもしれません(笑)。「ウクライナだより」を書くことにより何をお伝えしたいのか
日本の大使としての私の当地での活動の原点は、大使館のホームページの挨拶文のとおり、「ウクライナ国民への敬意、日本はウクライナと共にある」というものです。日本の対ウクライナ支援は日本の国民の変わらぬ支持があってこそ、ですが、そのためには断片的なニュースを越えて、今のウクライナの実像を理解していただくことが大事であり、「ウクライナだより」を書こうと考えたのも、私が当地で活動する中で感じたことを私なりの視点からお伝えすることが役に立てば、という思いからです。ウクライナ語の読者に対しては、敬意と連帯と友情を伝えたいと思っています。 そして英語の読者に対しては、欧米の視点に偏りがちのウクライナについて、アジアからの視点を投じられればと思っています。日本においては戦争と平和は対極ですが、国や地域によりグラデーションがあり、この国では文字通り隣り合わせです。その複雑性を複雑なまま書こうと思うと、Xの短い投稿ではできません。また、国全体が歯を食いしばって悲しみに耐えている中で、インスタで屈託なく明るい写真とコメントを、というのもなかなか難しいところです。したがって、この古風な文章のスタイルで書かせていただこうと思います。
議員外交の力~森英介衆議院議長の当地訪問
日本で報道もありご存じの方もいらっしゃると思いますが、森英介衆議院議長が9月14~15日に当地を訪問しました。森議長は、日本・ウクライナ友好議員連盟の創設メンバーとして1995年結成以来30年以上両国の友好関係に尽くしてこられた「井戸を掘った人」で、ゼレンスキー大統領を始めとする歴代大統領や首相の殆どを東京で接遇したほか、ご自身も2013,15,19年に続く四回目のウクライナ訪問でした。そのような功労者であり、かつ衆議院議長という国権の最高機関の長が来訪されたということで、ウクライナ側は特別待遇で森議長を迎えました。日本の国会に当たる最高会議のステファンチュク議長は到着・出発の送迎を自ら行い、また心づくしの夕食会を主催しました。ゼレンスキー大統領、コレツキー首相とも会談しました。一番のハイライトは、最高会議での20分にわたる演説でした。
ウクライナの民族衣装であるヴィシヴァンカを着用し、胸に最高会議から授与されたばかりの勲章をつけて決然とした表情で登壇された森議長は、2022年のロシアの全面侵攻直前に自らが尽力した衆議院決議で示された院の意思は不変であるとしつつ、「我々は、ロシアの揺さぶりに屈することなく、ウクライナ支援を続け、しっかりと両国が連携して毅然と対応していきたい」と発言されました。その上で、「ウクライナという国、そして、一人一人の国民が負った傷は深く、大きく、完全に癒えることはないのだろうと思います。ウクライナの驚異的な粘り腰と力強さの陰に、国民のやり場のない憤りや底知れぬ悲しみがあることに思いを致せば、ウクライナの歩みと我が国の歩みを単純に比べることはできません。いや、比べること自体、控えるべきなのかもしれません。・・・」と語られ、最後に、「自由と民主主義を守るウクライナ国民への尊敬と連帯の気持ちは、決して変わることはありません。日本国と日本国民は、これからもウクライナと共にあり続けます。」との言葉で締めくくられ、議場総立ちの拍手で応えられました。この演説はとても好感を持って迎えられましたし、遠路はるばる日本から友人が来て国民の代表全てに力強いメッセージを伝えたことは大きな印象を与えたと思います。外交官である私は転々と世界を回るのが仕事で、それに誇りを持っているのですが、それが故に長い付き合いをしていくことが必ずしも容易ではありません。森議長が、今回同行した盛山議員と二人三脚でウクライナとの関係を盛り上げて息の長い交流を続けてこられたことは我々には真似できない議員外交の真骨頂でしたし、今回の議会演説にはその集大成の迫力が感じられました。
「溶接の神」~エフゲニー・パトン博士
ウクライナは独立前の帝政ロシア、ソ連時代を通じて科学技術の一大中心地でした。一日目に訪問したキーウ工科大学は数多くの卒業生を輩出していました。森議長は東北大学工学部で溶接を勉強され、その後博士号まで取得されましたが、その時によく読んでいた論文の筆者がエフゲニー・パトン博士という人だったとのことでした。一日目にキーウ工科大学を訪問した際に、博士親子が二代にわたりこの大学で活躍したことがわかりました。森議長は、大人(たいじん)という雰囲気で、立派でかつ物静かな方でしたが、この時ばかりは相好を崩してパトン教授の銅像とのツーショットの写真を撮っておられました。日本ウクライナ議連会長と「溶接の神」パトン博士のキーウでの邂逅~このようなご縁もあるんだな、と感じました。市内にはパトン博士が設計した「パトン橋」というのもあるみたいで今度行ってみたいと思います。キーウ発東京行き
二日間の日程を終え、森議長と盛山議員は、ステファンチュク議長の見送りを受け、当地を出発してポーランドへ向かう列車に乗車しました。ふと上を見上げると掲示板には「キーウ(Kyiv)発東京行き」の文字が。軽快で気の利いたおもてなしに感嘆しました。そして、夜空を見上げ、ふと東京にいる家族のことを思いました。
(了)
- 大隅大使着任挨拶

- 大隅大使略歴(PDF)
(380KB)