私の好きなウクライナ 「リヴィウ・西ウクライナの心」(アレクシェイエヴァ・リリヤ職員)
私はリヴィウ市というウクライナの西にある街の出身です。今年で756年にもなる歴史の長い街です。国境に近い街ということもありますが、歴史の流れと共にウクライナの周りにある国々の領土に頻繁に入ることとなり、その多文化が重なることによって今のリヴィウの独自の雰囲気が作られたのです。それはポーランドであり、オーストリア帝国であり、ドイツ、それから旧ソ連の一部でもありました。それぞれの国の影響が現在の街の文化になり、外見にも影響を与え、住民の性格にも現れていると思います。リヴィウだけに限らず、国家全体が隣国の一部となった経験をもっているため、ウクライナは多文化的な国だと思います。ウクライナを旅すると、様々な民族の遺跡が残っており、何万年前までの歴史が目の前で流れている感じもあり、興味深いと感じることと思います。
リヴィウの話に戻ると、街から電車に乗って1時間程行くとカルパチア山脈の風景が広がり始め、平原の沢山あるウクライナであまり見られない山々を見ることができます。このように山が近くあるために天気にも影響があり、リヴィウには頻繁に雨が降るので、他のウクライナの地域より比較的に湿度が高いのです。こういった面では、日本の天気に似ているとも言えると思います。
リヴィウに来た日本人の友達が、街の中心部を見て「映画のセッティングみたいですね」と言ってくれることがあります。私たちにはよく分かりませんが、そう言われるとそういう風に思えてくることもあります。こぢんまりとしていますが、大きくも小さくもなく、歴史は長いけれども古くは感じず、典型的なヨーロッパの街とも言えるけれども、ウクライナ独特の街だとも言える街です。言葉ではどうしても説明ができませんが、何とかして伝えたいと思うほどに自分にとって愛しい街なのです。
私にとって、リヴィウはウクライナの文化の首都であり(実際にそう認められています)、ウクライナがヨーロッパ的な国であることの最も重要な象徴です。演劇を見るなり、美術館や博物館に行くなり、お散歩をするなり、音楽を聴きに行くなり、美味しいコーヒーやチョコレートを楽しむなりして、人生を愉快に過ごすためのものが何でもある街です。我々リヴィウ出身の人々はこのような雰囲気の中で育てられたのです。少しのんびりしているかもしれませんが、人生を十分楽しむのにちょうど良いと思うのです。そのために、私たちの街を訪れてくださる方にはどこから来た人に対しても、心暖かくおおらかに歓迎しています。私はお客様を最も大事におもてなしするように周りの人から教わりながら育ちました。多くの他のウクライナ人もそうだと思います。ここもやはり日本と似ている点だと思い、とても自慢したいことなのです。
どこの国もそうですが、ウクライナで有名な料理であるボルシチとヴァレニキにホリルカやサーロがあっても、ありのままのウクライナ人が居なければ、そう美味しく味わえないと思います。もちろん、思い通りにならないこともあり、優しくなれないこともあると思いますが、本音を表に出すのも本当のウクライナ人だと思います。世界に知られた代表的なウクライナ人の顔だけではなく、一般のウクライナ人を見ていただき、知り合っていただきたいと思います。その経験だけで、ウクライナがどういう国なのかがお分かりになると思います。これがウクライナの心であり、ここに私のウクライナというものの意味があるのです。
アレクシェイエヴァ・リリヤ
在ウクライナ日本国大使館職員
リヴィウ国立大学は351年の歴史を有しています。
リヴィウ大学にはハリー・ポッターに出て来そうな図書館もあります。
町の中心にある真っ暗な建物の秘密とは?
リヴィウにも「自由の女神」がございます。
代表的なバロック風教会
1610年に建てられた聖ペトロ・パウロ教会
ライオンの耳元に願い事をささやくと叶わせてくれます。
この絵をどこから眺められるのでしょうか。
どうぞリヴィウの旅をお楽しみください!