ウクライナだより 2

令和8年9月30日
Letters1

~東京では「子供のように」寝ています~

令和8年(2026年)9月30日
ウクライナ駐箚日本国大使
大隅 洋
 

 9月24~25日にウクライナ西部の中心都市リヴィウで開催された日本・リヴィウ経済フォーラムというイベントに出席した機会に、リヴィウ国立大学を訪問しました。目的の一つは、日本に来ていた日本語を学んでいる大学生に再会するためです。

「東京では『子供のように』寝ています。」
 この夏、国際交流基金は、ウクライナ5大学1団体から生徒・教師各2名、計24名を招へいしました。8月17日には東京都内でレセプションがあり、私も妻と出席しました。ご一緒した黒澤国際交流基金理事長がおっしゃるには、「日本語能力試験(JLPT)は実施に当たり試験時間の途中で中断できないことになっているところ、ウクライナではJLPTを地下シェルターで実施してくれているんですよ。」とのこと。現場では様々な影響が出ていることが感じられました。レセプションに先立って、今回来日した5大学1団体はそれぞれ日本語教育の現状を報告してくれたようです。2022年2月24日のあのロシアによる全面侵攻が始まった時、キーウの教室では、先生から生徒宛に「今週の授業は中止します。今後については、またご連絡します。どうかご無事でいてください」とのメッセージがグループチャットに書き込まれたとのことでしたがあれから4年半、戦争は未だ続いています。そして生徒たちは、「避難、ミサイル攻撃、空襲警報、シェルター」など普通なら一生勉強することのないような日本語の単語を覚えたとのことでした。

 私達も色々な参加者と歓談しましたがほぼ全員が女性でした(成人男性は出国制限があるため)。みな日本への研修旅行を楽しんでいる様子でした。妻が一人の女性に、「東京では何が一番いいの?」と聞いたところ、「久しぶりに空襲警報が鳴らないので、子供のように寝ています」との反応があったそうです。ん、「子供のように」とは。。。何気ないその一言が耳に残りました。ウクライナに行ったら彼女たちと再会してみたい、と思った次第です。
 
再会
 リヴィウはポーランドとの国境から70kmのところにあるウクライナ西部の都市で、760年の歴史の中で様々な民族が交わってきた、欧州の雰囲気が色濃い石畳の町です。リヴィウ国立大学はポーランド支配下の1661年創立、江戸時代で言えば四代将軍・家綱(1651~80)の時代に開設された古い大学で、その古典様式の建築と赤絨毯が敷かれた階段には伝統の荘厳さを感じます。
 
 学長や学部長からは、1992年に日本語コースが開設されたこと、現在は百数十名の学生が、日本語だけでなく日本文学、文化、ビジネスコミュニケーション、通訳・翻訳を学んでいること、今年12月に国際交流基金のJLPT(日本語能力試験)が初めて実施されることなどの説明ありました。ウクライナ屈指の大学ということでレベルの高さを感じました。

 その後、「では学生達と会いに行きましょう」と言われたので、訪日した学生や教師など若干名と会うのかと思いきや、じゃじゃーん。広く天井が高い会議場という感じの部屋に100名近くの学生そして教師がびっしりと座っていました。


 満場の中で先ずは私の方からは自己紹介ということで、「ドーブル・デー二。メネ・ズブージ・オオスミ。ア・イムヤ・ヨウ、ヨウ・オズナチャーイェ・オケアン。ドゥージェ・プリエームノ(こんにちは、私の名前は大隅です。下の名前はヨウです。ヨウはオーシャン、海という意味です。初めまして)」とありったけのウクライナ語で喋りました。本当は、「私の先祖は昔々海賊をしていました。」と言おうと思っていたのですが、そこまでは覚えきれず発動できませんでしたが。。。また、哀悼と見舞い、敬意、そして日本はウクライナと共にある、ということを伝えました。

 東京で会った学生や先生も最前列に座ってくれていました。質問したら、「何かすぐ溶け込めた」「日本では同年代の学生と交流できたのがとてもよかった」「古本屋が楽しかった」というような声が返ってきました。
 
 会場全体でのQ&Aセッションにはちょっとはにかんでいるのかなと思うところもありましたが、それでも少しずつ手が上がりました。質問の中には、「日本とウクライナの将来の関係はどうなるか」「日本語を今学ぶ意義は何か」「現代において人文科学を学ぶ意義は何か」などなかなか難しいものもありました。私からは、人類の知恵は西洋にも東洋にもある、日本においては両方学ぶのに西洋においては東洋のことをほとんど学ばないのは知的損失であり、皆さんが日本語を通じて日本と東洋の智慧を学べるのは皆さんの人生にとっても良いことと思うと答えました。また、AIの進化により問われているのは人類の究極的な選択をどうするかであり、そこは人間自身が思考していく必要がある、その時の羅針盤は歴史への理解や哲学的思考であり、人文科学の伝統が今こそ必要だと思う、と答えておきました。

 最後に赤絨毯の階段で写真撮影をした後は色んな子たちが話しかけてきてくれました。この訪問が、皆の日本語学習意欲を高めてくれたことを期待します。
 
「Budokan」
 リヴィウ市内でもう一か所、Budokan(東洋言語・武術学校「武道館」)という学校にも見学に行きました。1816年創立のれっきとした国立の小中高一貫校ですが、2016年の200周年を機に、フィンランド式の教育と日本の武道の考え方を取り入れた教育をしているところです。(ソ連・ロシア式から)教育方針を大転換するに当たっては、フィンランドの南から北まで40校ほど見学して、親・子供・先生が一体で教育しているフィンランド式が必要だとの結論に至ったそうです。また、礼儀・自己管理・相手への敬意という日本的な精神も教育の一部として体育の代わりに合気道・古武術の稽古を導入したとのことで、合気道を教えているクラスを見学しました。フィンランドは近いですしフィンランド式教育というのは教育界では有名ですが、なぜこのリヴィウの伝統校が「日本」に至ったのか不思議だったので質問したところ、どうも学校の関係者の一人がサハリン出身で、彼の地で日本の武道に触れ、その後に禅哲学を勉強した後にリヴィウにやってきたことが縁だとわかりました。思い返すと、昭和の大横綱大鵬の父親はウクライナ人の元コサック騎兵将校でロシア帝政崩壊後に日本に亡命して南樺太(サハリン)に住んでいたとのこと。また、スターリン時代にウクライナ人は大規模に極東に移住させられたと聞いています。そのような極東とウクライナを結ぶ数多いストーリーの一つがリヴィウでこのように数奇な形で芽吹いているのでしょうか。
 
 今、このBudokanの屋上に「リヴィウ日本センター」を創ろうという構想が動き出しているようで、その説明を受けました。「日本・ウクライナ・ビジネス・イノベーション・ハブ」というコワーキングスペースも作りたい、とのことのようです。リヴィウ市当局も関与しているようで、日本の文化に関するハブにしたい、そして日本のビジネスも呼び込みたいという並々ならぬ熱意を感じました。

 リヴィウ国立大学での日本語教育もそうでしたが、日本ではほとんど知られていないこの町で、こんなに多くの学生達が日本語を勉強してくれ、そして日本と繋がろうとしていることはありがたいことと思いました。
 

墓地のベンチ
 今回の出張に同行してくれた平木書記官が、「是非ご覧になった方がよいところがある」と連れて行ってくれたのが、リヴィウ出身者で戦場に倒れた人達の墓地でした。墓地といっても空き地だったところに棺を並べて墓地としているといった趣です。平木書記官の解説では、リヴィウは東部の戦場から離れていて戦争の傷跡は少ないが、それでもやはりここから戦地に赴き生還できなかった人が大勢いる、この墓地も自分が前に来た時よりもだいぶ拡大している、とのことでした。

 写真でも判るとおりこの墓地は延々と奥まで延びており、最後まで歩いて行きつきませんでしたが、新しくきれいな棺の周りには、遺影とウクライナ国旗と様々な花が飾ってありました。ほとんどの棺の隣にはベンチが設置されていました。逝ってしまった人に寄り添いたい、その傍で時間を過ごしたいということでしょうか、いくつかのベンチには寒空の下で座っている人がいました。この東部戦線から離れたリヴィウにも戦争の哀しみがある。しかもその犠牲はもともと必要なものだったのか。曇天が重くのしかかる中、首を垂れるばかりでした。
        

バック・トゥ・キーウ
 キーウに戻ると緊張感がやはり少し違います。週末近くの公園を初めて散歩しました。警報が無ければ普通の風景。平和と戦争が背中合わせの中、市民は生活~活きる生~を希求しています。

 
 
 





















 
(了)