大使報告(その2)
平成28年1月29日
ウクライナに着任し,1年3ヶ月が経過しました。昨年から今年にかけては,12月以降大変に寒い日が続き,キエフの街は雪に覆われ,行き交う人々が足元に気をつけながら歩く風景がいかにも北国の都という風情を醸し出しております。ここ日本大使館は,ウクライナに対する最大の支援国である日本の大使館として,忙しいながらも頑張っております。昨年5月の報告を行って以降の大使館の成果につき報告いたします。
1 ウクライナと日本の要人の往来
昨年6月5日から6日にかけて,安倍総理大臣が日本国の総理として初めてウクライナを公式に訪問しました。ウクライナにとって,日本国の総理の訪問は独立以来待ちに待った訪問であり,ポロシェンコ大統領がこの訪問にかける意気込みは大変なものがありました。安倍総理は無名戦士記念碑,ホロドモール(1920年~30年代に起こったウクライナの大飢饉。当時のスターリンがウクライナに無理な農業政策を押しつけた結果と言われている。)記念碑,さらにはマイダンに設置された,一昨年当国で起こったヤヌコーヴィチ前大統領追放に際しデモにおいて死亡した人々の記念碑を訪れ,その後,大統領府における歓迎式典に臨みました。ポロシェンコ大統領とは,少人数会合,政府の関係者を入れた拡大会合及び昼食会において,ウクライナが現在置かれている状況,日本の支援を中心に話し合いが行われました。その後,安倍総理は日本が導入支援を行った約1,500台の交通警察ハイブリッドカーの視察をポロシェンコ大統領と行い,ウクライナの世界遺産であるソフィア大聖堂を視察し,夕刻,G7サミットが行われたドイツに出発しました。安倍総理の訪問には昭恵夫人が同行し,日本が草の根支援を行った小児病院及び日本センターの視察を行いました。日本センターにはマリーナ大統領夫人が同行しました。こうして日本の総理としての初めてのウクライナ訪問は,大きなインパクトを与えて終了したのです。
ポロシェンコ大統領は安倍総理の訪問を大変に喜び,その後も8月に行われたG20の会合,9月の国連総会などでウクライナ情勢につき首脳同士の会談を続けました。私もポロシェンコ大統領とはその後も色々な場でお会いいたしましたが,ポロシェンコ大統領は私に対し,安倍総理との会談を思うと常に勇気が湧いてくると言われていることは特筆すべきことと思います。さらに本年1月に行われたポロシェンコ大統領と外交団との新年祝賀会において,ポロシェンコ大統領はそのスピーチの中で特に日本に触れ,G7議長国である日本を頼りにしているとの発言を行った事を報告したいと思います。
9月には森英介衆議院議員を議長とする日ウクライナ議員連盟がウクライナを訪問し,ヤツェニューク首相,フロイスマン最高会議議長と会談したほか,ウクライナ側の議員連盟の歓迎夕食会に臨みました。
チェルノブイリ関係では,10月に入り菅元総理,泉田新潟県知事が現地を視察するためにウクライナを訪問しました。
2 G7大使「ウクライナ・サポート・グループ」会合
昨年6月ドイツのエルマウで行われたG7首脳サミットにおいて,G7首脳はウクライナ問題に関し,キエフ在住のG7大使が連携してウクライナの支援に当たるようにとの声明を発出しました。これを受けて,議長国である独大使を中心としたG7大使によるウクライナ・サポート・グループが結成されました。昨年6月からこれまでに,大統領とは2回,またヤツェニューク首相とは2回長時間に亘って会談したほか,主要閣僚,中央銀行総裁等々と会談し,G7の関心事項を伝えました。また,節目節目にはG7大使としての声明を発表し,ウクライナの改革努力支援を表明いたしました。当国においてG7への期待は極めて高いものがあり,G7大使サポート・グループに対しては多くの会談希望が来るなど,活動が大変に活発化しています。本年1月より日本はG7の議長となったことから,私がこのG7大使サポート・グループの議長を務めることになり,すでに本年1月にG7大使会合を開催し,今後の目標につき議論を行いました。今後,汚職対策に関する機関のトップ,クリムキン外相,ポロシェンコ大統領との会談が予定されており,このハンドリングだけでも大変に忙しい毎日を送っております。
もう一つご報告したいことは,G7議長就任の機会に,今まで手狭であった日本大使公邸の拡張工事を終えたことです。これにより,議長として必要な大食堂をはじめ,政府要人を迎えるに相応しいサロンを整備することができました。
3 対ウクライナ支援
最初に申し上げたとおり,日本はウクライナに対する最大の支援国となっております。6月の安倍総理大臣のウクライナ訪問に際しては,私とズーブコ副首相兼地域発展・建設・公共サービス相との間で11億ドルのボルトニッチ下水処理場改修計画に関する書簡の交換を行ったほか,12月には私とヤツェニューク首相との間で3億ドルにのぼる財政支援に関する書簡の交換をいたしました。その他,日本の資金によって近代化されたキエフメトロ新車両の引渡式にクリチコ市長と臨むなど,多額の支援を最も効率的に使うために意を用いてきました。また9月には,東部の状況の視察をかねて,国連UNDP,UNICEF関係者とともに日本が支援した国連プロジェクト施設を2日間にわたって訪問いたしました。日本が草の根及び国連を通じて行っている学校,病院及び発電所の修理はウクライナの人々が直に裨益するものであり,大変に感謝されていることを申し述べたいと思います。
また,G7の一員として,ウクライナの改革問題は私が最も力を注いでいる問題です。ウクライナより汚職を追放し,経済の民主化を達成するためには,多くの組織の改革が必要とされています。日本は独自にウクライナ汚職撲滅のためのセミナーを開催したほか,G7の一員としても色々な提言を行っています。また,昨年8月には日本より外務省職員がSMM(OSCEによる停戦等の監視団)に報告官として派遣されたほか,今年1月には田中克元日銀及びIMF職員がヤレスコ財務相の財政顧問として赴任いたしました。このように日本は資金援助のみならず,人的支援を通じても改革努力を支援しております。
5 東部及びクリミア情勢
ドイツとフランスを中心とするノルマンディ・フォーマットの努力が功を奏し,東部の情勢に関しての安定のための合意(ミンスク合意)は停戦の実現に関しては大きな効果を発揮しており,東部における戦闘は著しく低下しています。今後,ミンスク合意の大きな重要課題である被占領地域における選挙を行うことを日本は支援していく必要があります。また,繰り返し私が報告しているとおり,欧州でロシアに次ぐ面積を誇るウクライナの治安は,東部及びクリミアというごく一部の地域を除けば安定しており,キエフは極めて治安の良い街であることを再確認しておきたいと思います。
6 日本企業の活動
良質で安価な労働力を有し,EUに対しては無税で輸出を行えるウクライナは,日本の企業にとって貿易相手国のみならず大きな投資先としても魅力的なものであると考えています。もちろん,ウクライナには依然としてソ連時代の硬直的な制度や汚職という問題があり,民間の方々の努力は大変なものもありますが,日本大使館としては日本の企業活動を支援すべく,これまで在ウクライナ日本商工会メンバーとアブロマヴィチュス経済発展・貿易相との会談の機会を持ったほか,税当局などとの会談の機会を提供いたしました。また,日本企業に対する不当な処置が行われる場合には,できる限り日本大使館として関係大臣に,時には私が直接大統領及び首相に善処を申し入れたこともありました。幸い,新しくフジクラがウクライナに機械部品工場を設立いたしましたことは,大変に嬉しいことと感じております。日本とウクライナの間では,昨年2月に投資保護協定が結ばれ,11月には双方の議会において批准が終了し発効いたしました。この保護協定が日本よりのさらなる投資促進に繋がることを期待しております。
7 文化交流
ウクライナの人々は概して西ヨーロッパに対する憧れが強いと見られていますが,その中で日本は例外的で,日本に関しては空手,柔道,花,お茶といった伝統的な文化に加え,最新技術に対する強い関心があることは嬉しいことです。昨年10月から12月にかけての2ヶ月間,キエフを代表する美術館であるハネンコ国立美術館において蒔絵・根付展を開催いたしました。この展覧会には,日本よりの古い蒔絵と,若宮隆志及び杉村聡両氏による新作の蒔絵が展示されました。また,ウクライナにおける根付の世界的コレクターであるフィラトフ氏の根付コレクションも展示することができました。この展覧会を見ようと多くの人々がハネンコ美術館を訪れてくれたことは嬉しいことであります。また,この展覧会に際しては,日本商工会をはじめとする多くの方々の支援を受けましたことに感謝したいと思います。
さらに昨年9月には,オデッサ市と横浜市の姉妹都市締結50周年を記念してオデッサ市において記念式典が開かれ,横浜市より関係者がオデッサ市を訪問いたしました。横浜市による薔薇の寄贈に加え,日本を紹介する展示会や伝統芸術のデモンストレーションがウクライナ日本センターを中心に行われたことも報告したいと思います。
昨年11月,ルイセンコ記念ハルキウ国立オペラ・バレエ劇場において日本が寄贈した照明設備の取り付けが完了し,キリレンコ文化相の臨席を得て記念公演が行われました。日本の誇るコンピューター制御による照明が鮮やかに変化することに,超満員の観客からどよめきが起こりました。
1 ウクライナと日本の要人の往来
昨年6月5日から6日にかけて,安倍総理大臣が日本国の総理として初めてウクライナを公式に訪問しました。ウクライナにとって,日本国の総理の訪問は独立以来待ちに待った訪問であり,ポロシェンコ大統領がこの訪問にかける意気込みは大変なものがありました。安倍総理は無名戦士記念碑,ホロドモール(1920年~30年代に起こったウクライナの大飢饉。当時のスターリンがウクライナに無理な農業政策を押しつけた結果と言われている。)記念碑,さらにはマイダンに設置された,一昨年当国で起こったヤヌコーヴィチ前大統領追放に際しデモにおいて死亡した人々の記念碑を訪れ,その後,大統領府における歓迎式典に臨みました。ポロシェンコ大統領とは,少人数会合,政府の関係者を入れた拡大会合及び昼食会において,ウクライナが現在置かれている状況,日本の支援を中心に話し合いが行われました。その後,安倍総理は日本が導入支援を行った約1,500台の交通警察ハイブリッドカーの視察をポロシェンコ大統領と行い,ウクライナの世界遺産であるソフィア大聖堂を視察し,夕刻,G7サミットが行われたドイツに出発しました。安倍総理の訪問には昭恵夫人が同行し,日本が草の根支援を行った小児病院及び日本センターの視察を行いました。日本センターにはマリーナ大統領夫人が同行しました。こうして日本の総理としての初めてのウクライナ訪問は,大きなインパクトを与えて終了したのです。
ポロシェンコ大統領は安倍総理の訪問を大変に喜び,その後も8月に行われたG20の会合,9月の国連総会などでウクライナ情勢につき首脳同士の会談を続けました。私もポロシェンコ大統領とはその後も色々な場でお会いいたしましたが,ポロシェンコ大統領は私に対し,安倍総理との会談を思うと常に勇気が湧いてくると言われていることは特筆すべきことと思います。さらに本年1月に行われたポロシェンコ大統領と外交団との新年祝賀会において,ポロシェンコ大統領はそのスピーチの中で特に日本に触れ,G7議長国である日本を頼りにしているとの発言を行った事を報告したいと思います。
9月には森英介衆議院議員を議長とする日ウクライナ議員連盟がウクライナを訪問し,ヤツェニューク首相,フロイスマン最高会議議長と会談したほか,ウクライナ側の議員連盟の歓迎夕食会に臨みました。
チェルノブイリ関係では,10月に入り菅元総理,泉田新潟県知事が現地を視察するためにウクライナを訪問しました。
2 G7大使「ウクライナ・サポート・グループ」会合
昨年6月ドイツのエルマウで行われたG7首脳サミットにおいて,G7首脳はウクライナ問題に関し,キエフ在住のG7大使が連携してウクライナの支援に当たるようにとの声明を発出しました。これを受けて,議長国である独大使を中心としたG7大使によるウクライナ・サポート・グループが結成されました。昨年6月からこれまでに,大統領とは2回,またヤツェニューク首相とは2回長時間に亘って会談したほか,主要閣僚,中央銀行総裁等々と会談し,G7の関心事項を伝えました。また,節目節目にはG7大使としての声明を発表し,ウクライナの改革努力支援を表明いたしました。当国においてG7への期待は極めて高いものがあり,G7大使サポート・グループに対しては多くの会談希望が来るなど,活動が大変に活発化しています。本年1月より日本はG7の議長となったことから,私がこのG7大使サポート・グループの議長を務めることになり,すでに本年1月にG7大使会合を開催し,今後の目標につき議論を行いました。今後,汚職対策に関する機関のトップ,クリムキン外相,ポロシェンコ大統領との会談が予定されており,このハンドリングだけでも大変に忙しい毎日を送っております。
もう一つご報告したいことは,G7議長就任の機会に,今まで手狭であった日本大使公邸の拡張工事を終えたことです。これにより,議長として必要な大食堂をはじめ,政府要人を迎えるに相応しいサロンを整備することができました。
3 対ウクライナ支援
最初に申し上げたとおり,日本はウクライナに対する最大の支援国となっております。6月の安倍総理大臣のウクライナ訪問に際しては,私とズーブコ副首相兼地域発展・建設・公共サービス相との間で11億ドルのボルトニッチ下水処理場改修計画に関する書簡の交換を行ったほか,12月には私とヤツェニューク首相との間で3億ドルにのぼる財政支援に関する書簡の交換をいたしました。その他,日本の資金によって近代化されたキエフメトロ新車両の引渡式にクリチコ市長と臨むなど,多額の支援を最も効率的に使うために意を用いてきました。また9月には,東部の状況の視察をかねて,国連UNDP,UNICEF関係者とともに日本が支援した国連プロジェクト施設を2日間にわたって訪問いたしました。日本が草の根及び国連を通じて行っている学校,病院及び発電所の修理はウクライナの人々が直に裨益するものであり,大変に感謝されていることを申し述べたいと思います。
また,G7の一員として,ウクライナの改革問題は私が最も力を注いでいる問題です。ウクライナより汚職を追放し,経済の民主化を達成するためには,多くの組織の改革が必要とされています。日本は独自にウクライナ汚職撲滅のためのセミナーを開催したほか,G7の一員としても色々な提言を行っています。また,昨年8月には日本より外務省職員がSMM(OSCEによる停戦等の監視団)に報告官として派遣されたほか,今年1月には田中克元日銀及びIMF職員がヤレスコ財務相の財政顧問として赴任いたしました。このように日本は資金援助のみならず,人的支援を通じても改革努力を支援しております。
5 東部及びクリミア情勢
ドイツとフランスを中心とするノルマンディ・フォーマットの努力が功を奏し,東部の情勢に関しての安定のための合意(ミンスク合意)は停戦の実現に関しては大きな効果を発揮しており,東部における戦闘は著しく低下しています。今後,ミンスク合意の大きな重要課題である被占領地域における選挙を行うことを日本は支援していく必要があります。また,繰り返し私が報告しているとおり,欧州でロシアに次ぐ面積を誇るウクライナの治安は,東部及びクリミアというごく一部の地域を除けば安定しており,キエフは極めて治安の良い街であることを再確認しておきたいと思います。
6 日本企業の活動
良質で安価な労働力を有し,EUに対しては無税で輸出を行えるウクライナは,日本の企業にとって貿易相手国のみならず大きな投資先としても魅力的なものであると考えています。もちろん,ウクライナには依然としてソ連時代の硬直的な制度や汚職という問題があり,民間の方々の努力は大変なものもありますが,日本大使館としては日本の企業活動を支援すべく,これまで在ウクライナ日本商工会メンバーとアブロマヴィチュス経済発展・貿易相との会談の機会を持ったほか,税当局などとの会談の機会を提供いたしました。また,日本企業に対する不当な処置が行われる場合には,できる限り日本大使館として関係大臣に,時には私が直接大統領及び首相に善処を申し入れたこともありました。幸い,新しくフジクラがウクライナに機械部品工場を設立いたしましたことは,大変に嬉しいことと感じております。日本とウクライナの間では,昨年2月に投資保護協定が結ばれ,11月には双方の議会において批准が終了し発効いたしました。この保護協定が日本よりのさらなる投資促進に繋がることを期待しております。
7 文化交流
ウクライナの人々は概して西ヨーロッパに対する憧れが強いと見られていますが,その中で日本は例外的で,日本に関しては空手,柔道,花,お茶といった伝統的な文化に加え,最新技術に対する強い関心があることは嬉しいことです。昨年10月から12月にかけての2ヶ月間,キエフを代表する美術館であるハネンコ国立美術館において蒔絵・根付展を開催いたしました。この展覧会には,日本よりの古い蒔絵と,若宮隆志及び杉村聡両氏による新作の蒔絵が展示されました。また,ウクライナにおける根付の世界的コレクターであるフィラトフ氏の根付コレクションも展示することができました。この展覧会を見ようと多くの人々がハネンコ美術館を訪れてくれたことは嬉しいことであります。また,この展覧会に際しては,日本商工会をはじめとする多くの方々の支援を受けましたことに感謝したいと思います。
さらに昨年9月には,オデッサ市と横浜市の姉妹都市締結50周年を記念してオデッサ市において記念式典が開かれ,横浜市より関係者がオデッサ市を訪問いたしました。横浜市による薔薇の寄贈に加え,日本を紹介する展示会や伝統芸術のデモンストレーションがウクライナ日本センターを中心に行われたことも報告したいと思います。
昨年11月,ルイセンコ記念ハルキウ国立オペラ・バレエ劇場において日本が寄贈した照明設備の取り付けが完了し,キリレンコ文化相の臨席を得て記念公演が行われました。日本の誇るコンピューター制御による照明が鮮やかに変化することに,超満員の観客からどよめきが起こりました。