ウクライナは177か国と外交関係を樹立しており,世界に84大使館,8国際機関代表部を有している。また,ウクライナには71の各国大使館(実館)が開設されている(2011年10月現在)。
ウクライナの外交は,欧米諸国,ロシアを中心に東西にバランスの取れた外交を行うことを基本方針としつつ,最終的な目標を欧州統合に置いている。併せて,欧州における国際機構(EU)への将来的な加盟を目指している。「非同盟」政策を掲げるヤヌコーヴィチ大統領は,前大統領時代に冷却化していたロシアとの関係を改善し,欧米とも良好な関係を保ちながら,実利を追求する全方位外交を展開している。
ロシアとウクライナは歴史的・文化的に極めて密接な繋がりを有し,ウクライナ国内に約1,000万人のロシア系住民が,またロシア国内にも約400万人のウクライナ系住民が居住するなど,文字通り最大の隣国である。同時に最大の貿易相手国でもあり,対ロ外交はウクライナ外交の優先分野の一つである。1999年3月には,両国間で最大の懸案であった包括的な友好協力条約(1997年5月署名)がロシア上院において批准され,ウクライナの領土保全,両国の国境不可侵が確認された。また,ロシア側が同条約の発効の条件としていた黒海艦隊分割に関する3協定も,1999年3月にウクライナ最高会議によって批准され,独立以来の両国の懸案が解決された。なお,2008年のウクライナ・ロシア間貿易高は400億ドルに上っており,経済危機後の2009年に両国間貿易高は減少したものの,最大の貿易相手国としてのロシアの経済動向はウクライナ経済に大きな影響を与えている他,ウクライナは特にエネルギー供給の大部分をロシアに依存している。
エリツィン露大統領の時代にはロシアとの関係は安定しており,プーチン露大統領の就任後も,クチマ大統領との首脳会談が頻繁に実施されるなど緊密なウクライナ・ロシア関係が維持された。2003年には,1月に陸上部分の国境を画定する国境条約の署名,また9月には(両国間の意図に隔たりはあるものの)四ヶ国統一経済圏創設協定への署名もなされた。9月下旬にはロシアがケルチ海峡での堤防建設を開始し(トゥズラ島問題),両国は一端緊張状態におかれたが,これをきっかけにアゾフ海・ケルチ海峡水域の国境画定問題について一連の協議が持たれ,12月下旬にはアゾフ海及びケルチ海峡の共同利用に関する協力協定が署名された。なお,アゾフ海・ケルチ海峡を含む海上部分の国境画定及び海域利用については,現在も二国間交渉が継続中である。
2005年1月,EU統合を強く押し進めるユーシチェンコ新大統領が就任すると,対ロシア関係の舵取りは困難かつ不安定となった。2005年末より生じた天然ガス問題(「経済:ガス・石油供給問題」参照)を巡る両国の対立は欧米諸国を巻き込むまでに発展した上,沿ドニエストル地域に係る問題やウクライナのNATO加盟問題,ウクライナの主導によるGUAMの機構化(2006年5月)等を背景に両国の対立は深まり,「ウクライナの独立後,かつてないほどの両国関係の悪化」(チェルノムイルジン駐ウクライナ・ロシア大使)までに至った。
2006年8月にヤヌコーヴィチ内閣が発足すると,対露関係の改善と天然ガス交渉を最優先課題とする同首相は露への大幅な配慮を示し,両国関係は一時的に改善に転じた。 他方で,2007年にはユーシチェンコ大統領が推し進めているウクライナによる歴史認識の問題(ウクライナ大飢饉(ホロドモール),ウクライナ蜂起軍(UPA))等を巡って,再び両国が対立する場面がみられた。更に,同年12月にティモシェンコ内閣発足を経て,2008年1月,大統領,首相,議会議長によるNATOに対する「三者の書簡」によりウクライナのNATO加盟行動計画(MAP)への参加希望を表明すると,ロシア側より,ウクライナのNATO加盟はロシアの安全保障上の脅威となるとして強い警戒感が示された。結局,右MAP参加は現時点まで実現していない。また同年夏のグルジア紛争に際しての対応を巡っても,ウクライナ・ロシア間の亀裂は更に深まった。2009年初頭には,両国の間で新たなガス紛争が勃発している(「経済:ガス・石油供給問題」参照)。さらに,2009年7月には両国間で外交官の国外退去が相互に発表され,両国関係は一挙に緊張した。8月11日,メドヴェージェフ露大統領はユーシチェンコ大統領宛に公開書簡を発出し,ウクライナの指導者が一連の反露的政策(グルジアへの武器供与,外交官追放,ガス問題,歴史問題,NATO加盟)をとっているとして批判するとともに,駐ウクライナ露大使の着任を延期する旨伝達した。ウクライナ露関係の悪化は,この2009年8月をピークとし,以来,両国大統領間の政治対話は中断されていた。
2009年秋以降,ロシアからウクライナへのガス供給契約及びナフトガス・ウクライナの露ガスプロムへの代金支払い問題を巡り,両国が激しく対立した。これに対し欧州はガス紛争再燃による欧州へのガス供給停止を懸念しつつも,ガス供給は二国間の問題であるとして一定の距離を置き,欧州独自のエネルギー安全保障を模索する動きを見せた。
ポロシェンコ外相(10月9日~)は就任直後にロシアを訪問し,マスコミを経由しない外務省経由での両国の対話を復活させた。ティモシェンコ首相とプーチン露首相の関係も良好であり,両者は頻繁に電話会談を行い,11月19日にはヤルタで首相会談を行った。
2010年2月に就任したヤヌコーヴィチ大統領は,就任直後にモスクワを訪問,メドヴェージェフ露大統領及びプーチン露首相と会談を行い,二国間関係の「リセット」を表明した。2010年4月27日には,これまでの懸案であった露黒海艦隊駐留の2042年までの延長及びガス価格の割引に関するパッケージ合意が署名され,ユーシチェンコ前大統領時代に悪化した二国間関係は急速に改善した。ヤヌコーヴィチ大統領の就任後1年で,両国首脳は10回を超える会談を実施ししている。
2011年に入ってからのウクライナ・ロシア関係の最大の懸念は,原油価格と連動して大きく値上がりしたガス価格であり,ウクライナはガス価格値下げを求め,ロシア側と粘り強く交渉を進めている。また,ロシアは,ウクライナ・EU間の連合協定交渉の進展に伴い,ロシア,カザフスタン及びベラルーシからなる関税同盟への参加をウクライナ側に求めている。
ウクライナは1991年のソ連邦崩壊とCIS設立に際して重要な役割を演じたが,CISの正規加盟国ではなくCIS憲章にも署名していない。ウクライナはCISが超国家的機構となることには反対するとの観点からCIS軍事同盟やCIS関税同盟には参加しておらず,各加盟国との間で二国間ベースでの経済・軍事協力を行っている。また,CIS共同防空システム設置,CIS経済裁判所への財政支出等,CIS統合の方向につながる動きには加わらない方針を示している。
ウクライナは,ロシアへのエネルギー依存度を軽減することを目的に,コーカサス及び中央アジアからの天然ガス供給ルート確保の可能性を探っており,アゼルバイジャン,トルクメニスタン,カザフスタン等の国々との協力関係の緊密化を図っている。
2003年9月にヤルタで行われたCIS首脳会合の際,ロシア,ウクライナ,ベラルーシ,カザフスタンは,統一経済圏創設協定に署名した。但し,ウクライナ国内には,同経済圏が国家主権を制限しEU加盟を困難にする等の理由から強い反発があったため,ウクライナは署名に際し「ウクライナの憲法に矛盾しない限り同協定を履行する」旨の留保を付し,同経済圏が自由貿易経済圏創設に留まる限り協力するとの立場を示したが,その後大きな進展は見られていない。なお,2010年4月,欧州評議会議員会議(PACE)で演説したヤヌコーヴィチ大統領は,WTOに加盟するウクライナが,ロシア,ベラルーシ及びカザフスタンによる関税同盟に加入することはないと明言している。
実利に基づく全方位外交を志向するヤヌコーヴィチ大統領は,CISの枠組みにおける協力強化に積極的であり,ウクライナのCIS内における役割強化にも積極的な発言を繰り返している。ウクライナは,CIS内のFTA創設新合意の署名を強く求めているが,CIS内部で調整が進まず,2011年10月現在も署名には至っていない。
ウクライナは,ユーシチェンコ大統領政権発足後,GUAMを民主主義強化のための地域グループとして位置づけ,その枠内での協力強化と東欧諸国への拡大を図っている。特に,2005年4月に行われたGUAMサミットでは沿ドニエストル問題解決のためのウクライナ案を提案し,地域紛争の解決など国際問題にも積極的に関与していこうとする姿勢を示した。なお2006年5月,ウクライナ議長国のもとで開催されたGUAMサミットでは,GUAMの地位がこれまでの「地域グループ」から「国際機関」へと改組され,自由貿易圏が創設された。
GUAMは,エネルギー分野を含む経済協力,旧ソ連の地域紛争解決,組織的犯罪及びテロ対策などでの協力を通じて地域の安定に貢献することを目指している。最近は加盟国であるモルドバの沿ドニエストル問題やグルジアの南オセチア・アブハジアの問題,アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ問題に関し,国際場裡でGUAM加盟国の共通の立場を発信することに力を入れており,2006年の国連総会ではGUAMの提案により「旧ソ連の凍結された紛争問題」が議題として承認され,国連において初めて右問題が協議されることとなった。加盟国以外の国・機関との関係では,米国,ポーランド,EU等との協力が進められており(「GUAM+」),日本との間でも,2007年6月のバクーでのGUAM首脳会合において初の「GUAM+日本」会合が開催された。「GUAM+日本」会合は,現在まで4回に亘って開催されており,また,観光振興,防災等の分野で「GUAM+日本」の枠組みによる協力が行われている。
GUAMの中心的存在であるウクライナでは,2006年8月に対露関係の修復を目指すヤヌコーヴィチ内閣の発足以降GUAMに対する関心の低下がみられ,GUAM規約の批准が行われていなかったが,2007年12月にティモシェンコ内閣が成立し,2008年3月に漸く同規約が批准された。2010年4月,ヤヌコーヴィチ大統領は,「ウクライナがGUAMに参加を継続する唯一の条件は,GUAMから実利が得られること」と述べ,GUAMに対するウクライナの姿勢を表明した。
ウクライナは,政治,経済の両面で米国との関係を「戦略的パートナー」として重視し,二国間政治対話,軍事,経済面での二国間協力に積極的に取り組んでいる。また,米国は,安全保障上の観点からもウクライナを重視し,大規模な支援・投資を行っている。なお,米には100万人以上のウクライナ移民がいる。
2002年,レーダー・システム「コルチューガ」のイラクへの売却疑惑が発覚すると,米側は一部支援を凍結させるなど態度を硬化させたが,2003年にウクライナがクウェートに支援部隊を派遣したことでウクライナ・米国関係は大きく改善した。
2000年後半に起こったゴンガゼ記者殺害事件以降,米側は特に人権や言論の自由といった「民主主義の価値」の遵守をウクライナ側に強く働きかけはじめ,2004年秋のウクライナ大統領選挙においても,政府に対して公正且つ民主的な選挙の実施を繰り返し求めた。その結果,12月26日のやり直し決選投票ではそれが満たされたとして高く評価している。
欧州的価値の共有を掲げるユーシチェンコ大統領の大統領就任を経て,ウクライナと米国の関係は強化され,2005年4月に行われた同大統領の訪米では,ブッシュ大統領との共同声明において,ウクライナと関係の深いキューバ及びベラルーシにおける人権問題に言及するなど,従来になかった対応を示した。その後も米国は一貫してウクライナを支援し続け,2008年12月のオグリスコ外相訪米時には,今後の両国関係強化を基礎づける「戦略的パートナーシップ憲章」が署名された。
ヤヌコーヴィチ大統領は,就任直後の4月12日に核セキュリティ・サミット出席のため訪米し,高濃縮ウランの全面放棄を宣言した。オバマ米大統領は,この核軍縮に対するウクライナのリーダーシップを「歴史的な措置」と高く評価し,技術的・財政的支援が実施されている。2010年7月にはクリントン米国務長官がウクライナを訪問,非核化を中心に,「戦略的パートナーシップ憲章」を基本とした二国間関係の強化が確認された。
ウクライナは,「欧州統合」を優先事項に掲げ,対ヨーロッパ関係の拡大・深化に努めており,2002年5月に発表された大統領教書「欧州の選択」では,まずEU準加盟の地位を獲得し,その後2011年までにEUに加盟することを具体的目標とした。1994年6月には「EUとのパートナーシップ協力協定」が調印された(1998年3月1日発効)。また1999年12月にはヘルシンキのEUサミットにおいて「EU対ウクライナ共通戦略」が採択され,ウクライナの欧州統合政策が改めて両者によって確認された。
2003年3月,欧州委員会は「より広い欧州-近隣諸国」を発表し,今後10年間の拡大EUとその近隣諸国との関係強化の枠組みを示した。これを受けて2005年2月,欧州委員会は3年間のウクライナ・EU行動計画を承認し,ウクライナは現在,右行動計画に沿って国内改革努力を続けている。2007年3月からは,現在のパートナーシップ協力協定に代わるものとして,自由貿易圏創設を主な内容とする新たな「強化された協定」の締結交渉が開始され,2008年9月,ウクライナを「欧州国家」(European country)と見なすと共に,同協定の名称を「連合協定」とすることが合意された。また2008年1月には,前年6月に署名されたEUとの査証簡素化協定及び再入国協定が発効した。
ウクライナは政治面で自らを欧州の一員とみなしており,EUと共同歩調を取ろうとする傾向が強まっている。他方,EU側は慎重な姿勢を崩しておらず,ウクライナの加盟についてEU側より明確なコミットは得られていない。
なお,2009年5月には,ウクライナは,グルジア,アゼルバイジャン,アルメニア,モルドバ,ベラルーシと共に,EU「東方パートナーシップ・イニシアティブ」の対象国となった。同イニシアティヴは連合協定,自由貿易圏,査証自由化,エネルギー安全保障等に向けた協力を目的とするもので,比較的欧州化の度合いが進んでいるウクライナにとってはあまり目新しい内容ではないが,同国はし,同パートナーシップのリーダー的役割を果たしている。
2009年12月,キエフで第13回ウクライナ・EUサミットが開催されたものの,署名準備を進めていた連合協定の交渉が完了せず,第3回中間報告書の採択に留まった。
2010年2月,欧州議会はウクライナに関する宣言を採択し,ウクライナが他の欧州諸国と同様にEU加盟を申請可能であると規定し,さらに無査証渡航へ向けたロードマップ策定(欧州委員会は2011年の締結を目処としている)にも言及している。
2010年3月,ヤヌコーヴィチ大統領は就任後の最初の外遊先にブリュッセルを選択し,ウクライナ外交にとって欧州統合が優先課題であることを改めて表明した。2010年11月,ブリュッセルにて開催された第14回ウクライナ・EUサミットにおいて,ウクライナはEU査証廃止にかかる行動計画を受領し,またウクライナ・EU間の深化した包括的FTA創設を含む連合協定交渉も大きく進展した。ウクライナは,上述のとおり,FTA創設合意,連合協定及びEU査証廃止の3つの目標を掲げており,2011年9月の東方パートナーシップ首脳会合においては,深化した包括的FTA創設交渉は,2011年中の終了が可能と確認された。またEU査証廃止についても,ウクライナは2012年に開催される予定の欧州サッカー選手権大会までに実現すべく,積極的に国内改革及び欧州側との交渉を進めている。その一方で,ウクライナ国内におけるティモシェンコ前首相及び前閣僚に対する裁判が進行していることにつき,EUは,ウクライナによる民主主義基準の遵守に一定の疑念が生じている旨懸念と表明しており,EU加盟を長期目標に掲げるウクライナにとっては,欧州接近の国内改革の実施と民主主義,人権尊重,法の支配といった欧州的価値観の遵守の両立が課題となっている。
ウクライナは中・東欧諸国との関係強化にも積極的である。EU拡大により新たにEU加盟国となった中・東欧諸国の中でも,ポーランドはとりわけウクライナに対して協力的態度を示しており,特にEU「東方パートナーシップ」は,ポーランドがスウェーデンと共に主導して開始されたものである。2011年後半は,ポーランドがEU議長国として東方パートナーシップ首脳会合を開催し,ウクライナも2011年内のEUとのFTA交渉終了を目指していたことから,ウクライナ・ポーランド関係は,ウクライナの欧州統合を軸に大きく強化されることとなった。
対ルーマニア関係では,2004年8月のウクライナによる「ドナウ・黒海」運河開通によって若干緊張が高まった。本件はドナウ・デルタの環境問題と黒海輸送の権益が絡む問題であるが,本件が契機となって,それまで両国間で交渉中であった黒海大陸棚・排他的経済水域の境界画定問題がルーマニアによって国際司法裁判所に提訴され,2009年2月,判決が発出された。
なお,同年3月初頭には,駐ルーマニア・ウクライナ大使館の武官等が不正に情報を入手した疑いにより,ルーマニア政府からペルソナ・ノングラータを通告されるという事件が起きた。ウクライナ側も対抗措置として,駐ウクライナ・ルーマニア大使館武官等にペルソナ・ノングラータを通告した。
ヤヌコーヴィチ大統領の就任後も,ウクライナ・ルーマニア関係は,ドナウ川水域の利用やルーマニアによるウクライナ国民に対するルーマニア旅券発行等といった二国間問題につき協議が定期的に行われている。
ウクライナの対アジア関係は対欧米諸国・対ロシアに比較するとそれほど活発ではないが,科学技術協力・兵器を含めたウクライナ産品の輸出市場,エネルギー安全保障の観点から,通商・軍事協力等を中心に対中東・アジア諸国との外交が強化されつつある。中国,韓国ともハイレベルの交流が行われている。
2009年10月,ポロシェンコ外相は第9回在外公館長会議で,金融危機対策として中国,インド,アラブ世界,北アフリカとの関係を強化するべきとして,「東方空間」の国々との関係強化の方針を打ち出した。10月26日,張徳江中国国務院副総理がウクライナを訪問してティモシェンコ首相と会談し,航空機及び自動車製造,インフラ整備,鉱物資源採掘に関心を示した。上記地域以外にもアラブ首長国連邦(航空機製造分野)及びリビア(安全保障,農業,石油採掘分野)との関係強化の動きが見られる。
ヤヌコーヴィチ大統領は,2010年9月の訪中,2011年1月の訪日,2011年3月のベトナム,シンガポール及びブルネイ訪問を行い,貿易経済分野及び投資分野の活性化を目指した積極的な東方外交を行っている。